石田三成、小早川秀秋と春日
豊臣秀吉の九州平定後、筑前は小早川隆景に与えられました。隆景は秀秋を養子として迎えました。
慶長3年(1598)突然秀秋は領地を取り上げられ、越前北ノ庄に転封となり、筑前は秀吉の直轄地となりました。
秀秋は慶長の役で朝鮮に渡り総大将でした。その時の失態で秀吉を怒らせたのではないかと言われています。
筑前を治めるため、代官として派遣されたのが石田三成と浅野長政でした。那珂郡は三成が担当で、春日の地は三成の支配下にはいりました。すぐその後、慶長三年八月に秀吉が死んだため、筑前は秀秋に戻されることになり、三成の代官としての期間は約10か月でした。
関ヶ原の戦いの主役の二人、三成と秀秋が、春日と関係しています。
【寺崎直利】